世界中の高脂血症に悩む人々が服用する「スタチン」。
その発見と創薬に至るまでには様々な困難がありました。
遠藤章博士が過ごした法内集落の風景
遠藤章博士は1933(昭和8)年、秋田県由利本荘市東由利法内の農家に誕生しました。
博士による「スタチン」発見には幼少時に母親が麹を作るのを手伝ったこと、そして祖父と一緒に近くの山でハエトリシメジを採った経験が大きな影響を与えたと聞きます。幼少の頃から家業である農業を手伝い、法内の山や田畑で様々な経験をすることで、偉大な発見の礎となる菌類に触れ合ってきたのです。
また「スタチン」発見という偉業には、博士の学ぶことに対する強い情熱も欠かせませんでした。
遠藤章博士顕彰碑建立に際して寄せていただいたコメントで、博士は「この定時制高校(旧本荘高校下郷分校)に学んだ当時、私が農業が嫌いだから定時制に入ったんだという村の人がいました。私はそういう人に会わないように、みんなとは違う道を通って学校に通いました。親も初めは農家の息子が学校に行く必要はないと反対しましたが、私はもっと勉強がしたかったのです。」と語っております。
なんとかして学校に行きたいと願っていた博士は折々で素晴らしい恩師や同級生と出会い、秋田市立高校(現秋田中央高校)に編入し、東北大学農学部へと進み更なる勉強の毎日を送りました。
1957年、東北大学農学部を卒業した博士は三共株式会社に入社しました。そこで博士は、果汁の濁りの原因であるペクチンを分解し清澄化するペクチナーゼという菌類の酵素を発見し商業化に成功します。
ペクチン質分解酵素に関する研究論文で東北大学農学博士となった1966年、遠藤章博士はアメリカのアルパート・アインシュタイン医科大学に留学。
その際、アメリカでは高コレステロールによる動脈硬化や心筋梗塞に悩む人が多いことを知りました。コレステロールはアメリカでは年間数十万人の人が死亡する心筋梗塞の主な原因だったのです。
そこで博士は、幼少期からカビやキノコに興味と親近感を抱いていたこと、また東北大学農学部在学中アレクサンダー・フレミングのペニシリン発見に刺激を受けていたことから、菌類を応用してコレステロールの低下剤が開発できないかと考えました。
留学からの帰国後、1971年4月以降、約6,000株の微生物をスクリーニングした末、1973年7月、博士はついに青カビ(ペニシリウム・シトリウム)の培養液からコレステロール合成阻害剤-236B(コンパクチン)を発見します。しかしコンパクチンによる検査やテストがうまく進まず、博士は何度も開発中止の危機に直面しました。
それでも「コンパクチンが安全で有効な薬になる」ことを信じた博士は努力を諦めず、ついに創薬に至りました。
現在「スタチン(コンパクチン)」は心筋梗塞と脳卒中の予防薬として処方され、世界中で毎日4,000万人以上の人が服用しています。またスタチンの多面的効果としてアルツハイマー病、骨粗しょう症、多発性硬化症、一部のガン(大腸、肺、前立腺)などの予防への可能性を追求して、広範な分野からの研究が続けられています。